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内的世界を描く ━━━
私の作品では、人物そのものの主張は抑え、代わりに色とりどりの紋様が目をひきます。
私が表現したいのは、その人の外側に現れている姿ではなく、内的な世界です。
それはひと目で理解できるようなものではなく、相手を知りたいと願い、心を通わせたときにようやく立ち現れてくるような深い内面性。
人物の表情は多くを語りません。時に強い眼差しで、時に夢想するようでありながら、いずれも優しさと芯の強さを併せ持った、凛とした女性像として描いています。
作品の原点 ━━━
私はもともと内向的な性格で、一歩外に踏み出すことにためらいがありました。
高校時代、その殻を破りたいという気持ちから、学校のプログラムでホストファミリーを引き受けることを決めました。
迎えたのは、中国から来た同い年の女の子。英語がほとんど話せない中でも、身振り手振りで一生懸命に会話を重ねていくうちに、彼女が文化的な理由から「大人のような格好や持ち物」を制限されていることを知りました。
当時の私は、メイクや少し大人びたファッションに夢中になる年頃でした。休日に一緒に出かける際、彼女は私の様子を見て、それは自国では許されないと話しました。そこで「せっかく日本に来たのだから、一緒に楽しんでみない?」と誘ってみると、彼女は目を輝かせて、メイクやファッションを心から楽しんでくれました。
その姿を見て、文化や国が違っても、心の奥にある感覚は私と同じなのだと気づいたのです。
一方で、彼女が「中国人」であるという理由だけで、クラスメイトからは距離を置かれている現実もありました。多感な時期の同級生たちは彼女に話しかけることは少なく、彼女は孤立ぎみでした。
国や見た目といった表面的な違いに囚われることで、その人の本当の姿を知る機会は簡単に失われてしまう。その感覚こそが、今の私の作品の原点にあるのだと思います。
異文化との出会い。作品表現へ ━━━
この体験は、その後も形を変え、私の前に現れました。
私は次の年もホストファミリーを引き受けるほど、海外文化に強い興味を持つようになり、後に、海外の人々とオンライン上でやり取りができるアプリに出会い、そこでサウジアラビア人の女性と知り合うことになります。
当時、テレビでは連日「IS (Islamic State/イスラム国)」に関する報道が流れており、イスラム教圏の人々とはどのような存在なのだろう、という関心を抱いていました。私自身の身近な環境でも、中東という地域は「戦争が多い」「危険」といったイメージで語られることがほとんどだったため、実際にその土地で暮らす人の話を聞いてみたいと思ったのです。
しかし、実際に話してみると、彼女は私の抱いていたイメージとは正反対の、とても優しく親切な女性でした。
私が中東の文化に興味があると伝えると、とても喜んでくれて、流行しているファッションや最近買ったコスメについて、楽しそうに話してくれました。その内容は、私が友人と交わす会話と何ら変わらないものです。
彼女もまた、おしゃれを楽しみ、日常を生きる、どこにでもいる一人の女性だったのです。
一方で、彼女は日常生活では、目だけを出す黒い宗教衣装「ニカブ」を身にまとっています。もし会話をしていなければ、私は彼女を「自分とよく似た感覚を持つ人」だとは決して想像しなかったでしょう。
宗教や文化の違いは、理解できない遠い世界のものではなく、本質的には日本とも通じ合う部分を持っている。その気づきは、私の作品の中で静かに反映されています。
日本画という選択 ━━━
日本画の色や質感には、どこか優しく、穏やかな印象があると感じています。
それは、絵の具の粒子が剥き出しのまま画面に置かれ、光を乱反射することで生まれる質感だと言われていますが、その柔らかな光を纏う画面は、私が出会ってきた彼女たちの優しさをよく表しているように思うのです。
また、日本画の絵の具は、鉱物を砕いた粉や土といった、自然由来の素材からできています。その質感に触れたとき、私は直感的に「中東を題材にした絵を描きたい」と思いました。遠い異国の文化でありながら、土や鉱物といった大地に根ざした感覚が、日本画と静かに共鳴すると感じたからです。
日本画の色彩は、日本人にとってどこか心馴染みの良いものだとも感じています。だからこそ、その色を通して描くことで、彼女たちを「遠い国の誰か」ではなく、自分と似通った、近しい存在として感じてもらえるのではないか。
日本画は、その橋渡しの役割を自然に担ってくれているように思います。
日本人として異文化を描く ━━━
日本は古くから、他文化や他の宗教を柔軟に受け入れてきた歴史を持っています。
最東端に位置する島国として、外から入ってくるものと対立するのではなく、上手く折り合いをつけながら共存してきた文化が、日本には根付いています。そうした背景から、日本人はさまざまな価値観に対して、善悪や優劣で切り分けるのではなく、「違いとして理解しようとする姿勢」を自然に持っているのではないでしょうか。
また、日本は長い歴史の中で、文化的・社会的に連続性を持った国家であり、社会を成り立たせるために宗教による統制を必要としませんでした。そのため、特定の宗教や文化に深く傾倒することなく、理解を示すことができる点も、日本人ならではの視点だと感じています。
私にとって、宗教的対立や文化への偏見に静かに歩み寄り、それを作品として表現することは、「日本人であるからこそできること」だと考えています。
そうした視点が、作品の題材を選ぶうえでの大きな軸になっています。
描かれた女性像 ━━━
私は、彼女たちにどこか憧れのような感情を抱いてきました。
彼女たちはしばしば「抑圧された存在」として語られます。実際に、そうした状況に置かれている人がいることも事実だと思います。
けれど私が出会ってきた彼女たちは、自身の尊厳をしっかりと守りながら生きている女性たちでした。
ベールは、外部との間に境界線を引くためのものであり、同時に、自身の女性性をどのように扱うかを自ら選択している姿にも見えます。それは「隠されている」のではなく、「選んでいる」状態だと私は感じるのです。
また、彼女たちは自身の信仰心や価値観を、ひと目でわかるかたちで身に纏っています。
日本では、個人の信念や信条を外に強く表すことはあまりありませんが、彼女たちはそれを恐れず、静かに示しています。その在り方に、私は同じ女性として強く惹かれているのだと思います。
彼女たちは私が尊敬し、憧れ、見つめ続けていたい存在なのです。
日本画家 伊藤愛華
